Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)の6月にリリースした「コロンブス」が炎上した後、どうなったのか気になっている方も多いではないでしょうか。
2024年9月7日放送の音楽番組「with music」では、「コロンブス」をテレビ初歌唱することが決定しています。
「MVだけが問題だった?」
「タイトルと歌詞はOK?」
「テレビで歌って大丈夫なの?」
など、疑問を感じている方も多いかもしれません。
この記事では、Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)「コロンブス」炎上経緯やその後の展開、タイトルと歌詞に関する疑問について詳しく考察・解説していきます。
ミセス「コロンブス」が炎上した経緯を振り返る
ご存じの方も多いと思いますが、今一度Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)の「コロンブス」が炎上した経緯を振り返ってみます。
※ご存じの方は、飛ばしてください。
Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)の「コロンブス」が炎上した経緯は、日本では新大陸発見の功績を主に語られるコロンブスが、現代では植民地支配の象徴などとしても取り扱われていることから、MVの内容と照らし合わせると「植民地主義を肯定している」と捉えれて問題視されました。
ミセス「コロンブス」MVが炎上した理由
- 類人猿の描写
MVでは、コロンブスらに扮したミセスグリーンアップルのメンバーが、到着した大陸で類人猿と遭遇する場面がありました。
これは先住民を類人猿に見立てているように解釈され、人種差別的だと批判が噴出。
コロンブスらが文明を持った人間、先住民は文化的に遅れた類人猿という表現は、どう考えても人種差別的ですよね。
そのような意図がなかったとしても、そう解釈される表現に対して批判が殺到しました。
- 植民地支配の描写
コロンブスらが類人猿に人力車を引かせる場面がありました。これは植民地支配や奴隷制を連想させ、歴史的な搾取を軽く扱っているように見えました。
- 「文明化」の描写
MVでは、コロンブスらが類人猿に楽器の演奏や敬礼を教える場面が。これは西洋による「文明化」の押し付けを想起させ、文化的優越感を表現しているように解釈されました。
- 歴史認識の浅さ
コロンブスを単純に英雄的な探検家として描いており、コロンブスの行動がもたらした「植民地主義」による悲惨な結果への認識が欠けていると指摘されました。
など、これらの要素が組み合わさって、MVが差別的で時代錯誤的だという批判を招きました。
ミセス「コロンブス」後の対応
「コロンブス」のMVは、その演出が「植民地主義を肯定している」として大炎上し、批判を浴びました。
ユニバーサルミュージックはすぐにMVを公開停止し、謝罪文を発表しています。
アーティストであるミセスグリーンアップルの大森元貴さんも「配慮不足が原因だった」と謝罪。
- 6月12日 21:00 「コロンブス」MV YouTubeで公開される
- 6月12日 夜から翌朝にかけてSNSにて批判的な投稿が増加
- 6月13日 14時頃 MVを公開停止。レーベルと事務所連名での謝罪文が公式サイトに掲載される
- 6月13日 16時頃 Mrs. GREEN APPLE 大森元貴さんによる経緯説明と謝罪文が公式サイトに掲載される
この件を海外の情報機関が報道するなど、日本国内だけに留まらない問題となりましたが、非常に素早い対応で更なる延焼は防げたという印象です。
しかし、全ての責任をミセスグリーンアップル、もとい大森元貴さんだけに負わせていると感じさせる対応には、ファンだけでなく疑問の声が挙がりました。
コカ・コーラとユニバーサルミュージックの対応とその問題点
この炎上を受け、タイアップ先のコカ・コーラも「MVの内容については事前に把握していなかった」とし、同曲を使ったプロモーションを取りやめました。
コカ・コーラの対応は「責任逃れ」と批判される一方で、ブランドイメージを守るための合理的なリスク管理とも言えます。
近年コロンブスは海外、特に米国や南米では、先住民への暴力や奴隷化、文化破壊の観点から批判的に扱われることが増えているのが現状。
米国などでは、10月の第2月曜は「コロンブスの日」として祝日でありますが、近年コロンブスに対しての評価の変化から、最近では多くの州や町でこの日を「先住民の日」と呼ぶようになっているなど、議論を呼んでいます。
コカ・コーラはアメリカに本社を置く国際的な大企業であり、イメージに敏感です。
日本コカ・コーラとしても、社会的な背景に敏感なアメリカ市場を考慮した判断だったと考えられます。
また、ユニバーサルミュージック側のチェック体制がなぜ機能しなかったのか、その点は非常に気になるところです。
大森元貴さんが個室にこもって1人で考え、1人で撮影した訳では決してなく、多くの人々・組織が関わって作り出された映像なはず。
今後の再発防止のためにも、明らかにしてもらいたいと考えている人は多いと思います。
ミセスは「コロンブス」のライブ映像を公開
2024年7月25日に、ミセスグリーンアップルは公式サイトにて、日本コカ・コーラ株式会社のキャンペーン「Coke STUDIO」の参加を見送ることを発表しました。
コカ・コーラが主催する音楽イベントで、さまざまなアーティストが出演するライブ。
今年のCoke STUDIOライブは、2024年10月19日と20日にさいたまスーパーアリーナで開催。
出演アーティストには、NewJeans、Creepy Nuts、Rita Ora、Rauw Alejandroなどが予定されている。
この「Coke STUDIO」の参加見送りの発表をした2024年7月25日、
ミセスグリーンアップルの公式Youtubeチャンネルで、2024年7月に開催されたスタジアムライブ「ゼンジン未到とヴェルトラウム〜銘銘編〜」で披露された「コロンブス」のライブ映像が公開されました。
この展開から、コカ・コーラ側が「コロンブス」の公開にNGを出していた、そしてそのコカ・コーラ社との契約が解除になった可能性が高いと推測できます。
「コロンブス」とコカ・コーラ社との契約解除が成立した?
先程も触れましたが、「コロンブス」ライブ映像公開の背景から推察されるのは、2024年7月25日をもってミセスグリーンアップルとコカ・コーラ社とのタイアップ契約が解除になったのだろうという点です。
タイアップ契約には、ブランドイメージを損なう事態が発生した場合の解除条項があった可能性があります。
MVの炎上がこれに該当し、自動的に契約解除の運びとなったのかもしれません。
契約解除により制限が解除されて、ミセスグリーンアップル側が楽曲「コロンブス」を自由に扱えるようになったということなのでしょう。
ミセスグリーンアップル側は、楽曲公開にNGを出していたコカ・コーラ社との契約解除により、楽曲公開に踏み切ったと推察されます。
「コロンブス」のタイトルと歌詞は問題ない?
ここまで読んできた方は、「“コロンブス”ってタイトルと歌詞の内容は問題ないの?」という疑問をお持ちだと思います。
「コロンブス」のMVが差別的だと批判を受けて公開停止になった背景には、コロンブスに対して近年の評価が、
「コロンブス=植民地支配の象徴」
として、批判的な捉え方をしている傾向があるからですよね。
この背景と照らし合わせると、楽曲のタイトルや歌詞に「コロンブス」という名前を使用している時点で問題であると考え方もできます。
しかし、ミセスグリーンアップル側は、日本国内のマーケットにおいて「コロンブス」というタイトルや歌詞がそれほど大きな問題にはならないと判断して、楽曲公開に踏み切った可能性が高いです。
ここからは筆者の推察・考察となりますが、詳しく説明していきたいと思います。
日本国内の「コロンブス」に対する認識
日本国内では、「コロンブス」に対する認識は「新大陸を発見した探検家」で、名前やその歴史的背景に対する敏感さが欧米ほど高くないのが現状です。
今回炎上騒ぎになって初めて、コロンブスの罪の部分を知った方も多いと思います。(恥ずかしながら筆者もその1人です)
特に「植民地主義や侵略の象徴」として、コロンブスに対する批判的な思想を持つ人々はアメリカやヨーロッパほど多くないため、日本市場に向けてプロモーションを行うことに関してはリスクが低いと判断したのかもしれません。
また、MV映像に散見された、多くの人が「人種差別・植民地主義」と捉えてしまう表現とは違い、この曲の歌詞を見ても「人種差別・植民地主義」に直接結びつけられるような表現はありません。
実際に、MV映像ではなく、ライブ歌唱映像で「コロンブス」の楽曲がリリースされた場合、一部から功罪併せ持つ人物をタイトルに使うことへの疑問はあったかもしれませんが、ここまで大きな騒ぎにはなっていないと考えます。
この辺りの日本国内の事情も楽曲公開の判断に影響していると思われますが、この点については今後も議論が続く可能性がありますね。
国内ファンの支持を重視した判断
ミセスグリーンアップルのファン層は日本国内に多く、しかも熱狂的であることも特徴です。
その国内での支持を重視して要望に応える姿勢を取ったとも考えられます。
実際に今回の炎上でも、ミセスグリーンアップルを擁護するコアなファンの意見も多かったですよね。
炎上後もコアなファンの支持が変わらないと判断した場合、海外の視聴者や批判よりも、日本国内でのプロモーションを優先することは戦略的に合理的と考えた可能性はありますね。
曲をお蔵入りさせたくない
ミセスグリーンアップルは、自身の音楽やアートの方向性を大切にするアーティストです。
今回の炎上に対しての大森元貴さんの謝罪文の中にも、MVの内容について「意図とは異なる伝わり方もするかもしれない」という懸念が事前にあったことを明かしており、その懸念があってもこの楽曲のMVとして表現したいものがあったのだと思います。
それだけ自身の表現を持っているアーティストなので、タイトルや歌詞に込めた想いも人一倍あるはずです。
残念ながら筆者には、その意図や思いをタイトルや歌詞から明確に読み取ることはできませんでしたが、曲はとても良い曲だと思います。
MVの内容を批判している有識者や、その他ファンでない方からも「曲は良い」との感想が多いです。
コカ・コーラとの契約が解除されたことで、外部の企業スポンサーによる制約がなくなった今、あえて「コロンブス」というタイトルやテーマを維持し、自分たちの意図や芸術性を貫こうとしている可能性もありますよね。
批判に向き合い、新しいイメージに刷新するため
炎上後のミュージックステーション出演時に「歌が歌える環境に感謝です。ありがとうございました。」と奮える声で挨拶をしていた大森元貴さんが非常に印象的でした。
メンタルにも相当堪えた一件となったはず。
ミセスグリーンアップルのヒット曲は沢山ある中で、あえて大炎上した「コロンブス」をテレビで披露する判断をした背景には、何か大きな決意があるようにも思います。
これをきっかけに、ミセスグリーンアップルが楽曲に対する新たなメッセージや意図を示す可能性もありますよね。
また、ファンや視聴者の反応次第で、さらなる方向転換やアクションを取ることも考えられます。
いずれにしても、アーティストとしての自由な表現を大切にしつつ、批判にも真摯に向き合う姿勢が整ったという見方もできますよね。
ミセス「コロンブス」炎上後どうなった?タイトルと歌詞は問題ない?テレビOKなのか?考察 まとめ
ミセスグリーンアップルの新曲「コロンブス」のMVは、炎上によって公開停止となりましたが、「コロンブス」というタイトルやその歌詞はどうなのか、疑問に対して調べてみました。
コカ・コーラとのタイアップが解除された背景には、ブランドイメージの保護や社会的・歴史的な背景への配慮があったと考えられます。
楽曲「コロンブス」をお蔵入りにしなかった理由は、日本国内での「コロンブス」という人物に対しての認識や、コアなファンの支持に後押しされた可能性を考察しました。
テレビ初披露によって、ミセスグリーンアップル側が日本国内の市場において、「コロンブス」を再び新しい文脈で見せる意図があるのかもしれません。
今後も「コロンブス」の影響がゼロにはならない中で、ミセスグリーンアップルがどのように活躍していくのか。
若く才能豊かなアーティストを、この件だけで世間が潰してしまうのは避けたいところです。
今後の活躍も期待したいですね。