Awich(エイウィッチ)さんは、日本のヒップホップシーンを牽引する沖縄出身のラッパーです。
Awich(エイウィッチ)さんの音楽は多くの人々の心を捉えていますが、その背景には壮絶な過去がありました。
特に、Awich(エイウィッチ)さんの夫の死は彼女の人生と音楽に大きな影響を与えています。
この記事では、Awichさんの夫の死因や夫の職業、2人の出会いやそれにまつわる事実、そしてAwichさんの音楽・沖縄への想いについて詳しく解説していきます。
- Awich(エイウィッチ) 夫の死因について
- Awich(エイウィッチ) 夫の職業について
- Awich(エイウィッチ) 夫との出会い・結婚について
- Awich(エイウィッチ) 音楽・沖縄への想い
Awichの夫の死因は銃殺
Awichさんの夫は、2011年に銃殺されました。
これは、Awichさんが25歳の時のこと。
夫の死因が銃殺だったという事実は、多くの人にとってショッキングな出来事でしょう。
日本ではあまり聞かない死因ですが、Awichさんの夫はアメリカ人で、アメリカでは日常茶飯事とは言えないまでも、地域によっては珍しくありません。
とはいえ、Awichさんの夫が一般人だったかというとそうではなく、裏社会の大物だったとされています。
そのため、仲間内の抗争などの何らかのトラブルに巻き込まれて命を落としたのではないかとのことです。
Awichの夫はプッシャー(ハスラー)だった
Awichさんの夫の職業は、プッシャー(ハスラー)でした。
これは、違法な薬物を売買する人のことを指すスラングです。
Awichさんは、結婚するまでこの事実を知らされていませんでした。
夫の職業を知った時のAwichさんのショックは、想像に難くありません。
プッシャーという職業は、常に危ない橋を渡って危険と隣り合わせの生活を強いられます。
そのため、Awichさんの夫も常に命の危険にさらされていて、銃で撃たれたことも多々あったといいます。
そんな夫と、Awichさんはどこで出会い、どのような経緯で結婚したのでしょうか。
Awichと夫の出会いと結婚
Awichさんと夫はどこで出会い、どのような経緯で結婚したのでしょうか。
Awichと夫の出会い
Awichさんが夫と出会ったのは、19歳でアメリカに留学していた時でした。
当時、ジョージア州立大学のペリメーター校に通っていたAwichさんは、通学途中に車で声をかけられます。
その車に乗っていたのが、後に夫となる14歳年上のアフリカ系アメリカ人男性でした。
二人はタトゥーの話題で意気投合し、すぐに親密な関係になっていきました。
- 背はそんなに高くないが声と態度が超デカい
- カリスマを持った人で、友達も多かった
- 私が描いたタトゥーのデザインを見せたら、分析する語彙力がすごかった
- ラップしなさいと言われて、いつも試されてた
- 書いた曲を分析してくれて、才能があるからやめんなよって言ってくれた
- そんな人、会ったことなかった
若くて行動力あって賢くて何でもできちゃうタイプの女性は、こういう危なっかしい人に惹かれがちなところあるよね。
それにしても危ないの度合がケタ違いだけど。
Awich 夫の過去と結婚
Awichさんの夫は、アトランタに移り住む前にニューヨークの刑務所で8年間服役していました。
この事実を知ったAwichさんはもう恋に落ちた後。最初は「だんだん何かやばいかも、やばい人だ」と思い始め戸惑いを感じたそうです。
しかし、次第に、
「その境遇を生き抜いてきたことが、すごい歴史を背負った人だ」
「そばにいてあげたいと思ったし、変われるきっかけに私がなるんじゃないか」
と考えるようになりました。
結婚を決意したAwichさんでしたが、両親は大反対だったといいます。
それでも、Awichさんは「結婚したいし、子どもも産みたい」という強い気持ちで、夫との新生活をスタートさせました。
Awich 夫の職業と逮捕
結婚後、Awichさんは夫の真の職業を知ることになります。
夫は「プッシャー(ハスラー)」と呼ばれる、違法な薬物の売人だったのです。
Awichさんが妊娠5カ月の時、夫は銃刀法違反と養育費未払いの容疑で逮捕されてしまいます。
Awichの前にも出会った女性と子供を何人も設けていたことも分かりました。
Awichさんは必死に夫の釈放を願い、保護観察官に電話や手紙で出所を懇願しました。
娘が誕生する3日前に出所できたとのことで、娘の出産には間に合ったといいます。
産後は、夫の母が住むインディアナポリスへ一家で移り住みました。
Awich アメリカでの生活と苦難
インディアナポリスでAwichさんは、インディアナポリス大学に進学。
アトランタで大学を卒業していたが、「娘は生きがいだったけど、何かしてないとノイローゼになる」と、保育園に娘を預けて大学に通いました。
夫は学校の清掃員として働き始めて、新生活がスタート。
しかし、インディアナポリスで見たのは「アメリカの本性」。
夫の親、親戚が中毒者だったり、貧困の中に生きていたり、家族全員が根強い「カルマ」の中にあり断ち切るのが難しい現実を生きていたといいます。
過去の行為や現在の行いが未来に影響し、良い行為には良い結果、悪い行為には悪い結果がもたらされるという思想。
アメリカの貧困の現実に直面し、Awichさんは夢や希望を失っていきます。
「アメリカの貧困は終わりがなくて、飢えてるし、夢とか希望とか持ってる場合じゃない。アメリカを舐めていました」とAwichさんは振り返っています。
負の連鎖を断ち切るのは本当に難しい。
本人だけの責任にするのは気の毒な状況もあるんだね。
Awich 日本移住と夫の死
起業学とマーケティング学の学士号を取得したAwichさんは、家族と共に日本に移住することを決めました。
2011年5月、Awichさんが就職活動のために東京に滞在している間に、悲劇が起こります。
夫が射殺されたのです。
義母からの取り乱した電話で事実を知ったAwichさんは、すぐにインディアナポリスに戻りましたが、葬儀には間に合いませんでした。
夫の死因は銃殺というショッキングな事実。
その数か月前にも夫は撃たれたことがあり、イザコザがあって家に発砲されたこともあったといいます。
裏社会の交友関係は断ち切ったと思われていましたが、まだ裏で続いていたのか、または何らかのトラブルに巻き込まれて命を落としたのかは分かりませんが、完全に離れることは出来なかったようです。
家に銃弾撃ち込まれているって、相当危ない!Awichや娘さんが無事でよかった!
Awich 夫の遺志と音楽
夫は生前、「音楽を絶対辞めるな」とAwichさんに言い残していました。
この言葉は、Awichさんの心に深く刻まれ、その後の音楽活動の原動力となりました。
夫の遺灰は、Awichさんと娘で沖縄の無人島の海に散骨。
これは夫の遺言でもあり、Awichさんと娘の身体に遺骨をまとわせながら、
「パパはあなたの皮膚になるよ、風になるよ、海になるよ」
「太陽、風、雲、木……今からあなたを取り巻く全てのものに、パパのエネルギーが戻っていく」
とAwichさんは娘に語りかけたそうです。
Awichの音楽と今後
夫の死後、Awichさんは悲しみから沖縄で約2年間うつ状態に陥りました。
どうしても起き上がれずにいたところ、あるとき父親に投げかけられた言葉がきっかけになり、悲しみを乗り越えることができました。
「お前はいつまでそんなことしてんだ」
「沖縄の人は、みんな自分の大事な人や家族や友達を戦争で亡くしてるんだ」
「みんなそうだ、みんなそれでも強く生きてる」
当時を振り返ってAwichさんは、
「旦那を亡くしたことで『悲しみに浸る権利がある』と勘違いしていた」
「沖縄という地や今の自分の生活は、悲しみを乗り越えた強さの上に成り立ってるんだっていうのを再確認した」
「私のルーツがそうなんだって思った瞬間に、立って歩き出そうって」
と、その言葉が大きな力になったことを語っています。
その後、イベント・映像制作会社を立ち上げて社長に。沖縄の人、アートなど地域資源の価値を高め、世界に広げる活動を推進しています。
現在は、Awichさんは日本のヒップホップシーンの第一線で活躍し、自身の経験や夫との思い出が色濃く反映された曲たちは、多くのリスナーの心を揺さぶっています。
Awichさんの存在自体が歌や言葉の説得力となる、強いパワーを持った稀有なアーティストの1人です。
Awichの夫の死因とは?壮絶な過去と音楽・沖縄への想いを紐解く まとめ
Awichさんの人生は、まさに波乱万丈でした。
19歳で出会った夫との恋愛、結婚、そして突然の死別。
これらの経験は、Awichさんの音楽に深みと説得力を与えています。
夫の最後の言葉「音楽を絶対辞めるな」は、今もAwichさんの原動力となり続けています。
Awichさんの音楽は、彼女の壮絶な過去と強い想いが込められた、唯一無二のものです。
これからも彼女の音楽と活動から目が離せません。