「死ぬのがいいわ」が世界中でバズり、今や世界的アーティストと言っても過言ではない藤井風さん。
藤井風さんは絶対音感を持ち、ピアノ演奏で唯一無二の多彩な音色を表現できる一方で、歌唱力も素晴らしく、英語も流暢に話せるなど、多才な才能を兼ね備えています。
そのため、幼少期から特別な教育を受け、優れた学歴を持つのではないかと想像される方も多いと思います。
大学、高校、中学校、小学校はどこの学校を卒業されたのでしょうか。
実際の藤井風さんの出身校や学歴、幼少期から現在までの音楽教育についてまとめてみました。
- 藤井風の出身大学について
- 藤井風の出身高校について
- 藤井風の出身中学校について
- 藤井風の出身小学校について
- 藤井風の幼少期からの音楽教育について
藤井風の出身大学は?
実は、藤井風さんは大学には通っていません。
高校卒業後は、生まれ育った岡山県の浅口郡里庄町の実家で生活を続けながら音楽活動に専念。
大学には通わずにYoutubeでの様々なカバーや弾き語りの発信や、地元開催のイベントなどで弾き語りを披露していました。
初めてのコンサートは、倉敷国際ホテルでチャリティーコンサートでした。
その他にも、お寺で終活セミナーの前に弾き語りをしたり、夏祭りで歌ったりなど、地元密着の活動をされていました。
地元のボランティアグループの研修会で開催されたコンサートに出演した際のチラシと広報誌には「町内外から210名の来場者が集まった」とあります。
終了後の握手会の様子では、おばさま達が長蛇の列ですね。
この頃から既におばさまキラー(笑)
「ピアノの奇行師」というネーミングセンスも風イズム全開!
地元でも当時から有名で人の心を掴んでいた
デビュー前に藤井風さんが地元の婦人ボランティア組織のイベントに出演されたときの様子を、日刊スポーツの記者さんが語っている記事があります。
記者さんのお母様がその婦人会の世話役を務めていて、イベントの余興に藤井風さんを推薦されてお願いしたとのこと。
- 一番若者向けの曲は沢田研二「勝手にしやがれ」
- ジュリーのように被っていた帽子を客席に投げる演出をしていた
- 帽子を返しに来たおばさまに「うちのお母さんが100均でぎょうさんこうてきたけぇ、返さんでもええんですよ。もろうてください」
- 優しい心遣いに、おばさま方はすっかり藤井風に夢中になっていた
- ステージ後におばさま方が円卓に飾られていた花を片手に列を作った
観る物の心を掴む音楽性と素朴な人柄、小道具をふんだんに使う演出はこの頃から健在!
藤井風がニューヨーク大学に海外留学していたウワサはなぜ?
藤井風さんは前述の通り大学には通っていませんが、なぜか「藤井風はニューヨーク大学に通っていた」というウワサがあるようです。
英語が話せるから?でもなぜニューヨーク大学?
そのウワサの根源は、2021年3月1日に放送された「報道ステーション」に出演して引き語りをした際に、着ていたTシャツに「NYU」というロゴが書かれていたこと。
この映像から「藤井風はニューヨーク大学卒?」と感じた視聴者が検索したのだと思われます。
後述しますが、藤井風さんの英語は留学などはせず全て独学で習得したもの。
ピアノから英語まで、本当に努力の人なんですね。
藤井風は大学に行かずYoutube配信で有名に。そして上京。
地元では既に有名になっていた藤井風さんですが、Youtube配信を続けることによって全国的に「知る人ぞ知る」存在になっていきました。
Youtubeを見て音楽関係者からのスカウトの連絡は多数あったそうですが、唯一岡山まで来てくれたのが、現在マネージャーを務める河津知典さん(通称:ずっず)で、その熱意に心を動かされました。
藤井風デビューのキーマンは「SHISHAMOの宮崎朝子」
現マネージャーの河津さんに藤井風さんの存在を教えたのは「SHISHAMO」のボーカル「宮崎朝子」さん。
当時いろいろな音楽関係者に会って、夢のような良い事ばかりを聞き続けてきた藤井風さんは、何が本当なのか、どの選択が良いのか分からなくなり、河津さんの誘いにも初めは乗り気ではなかったとのこと。
藤井風さんの説得に挫折しかけていた河津さんに、発破をかけて後押ししたのも宮崎朝子さんでした。
実家に来て両親にまで挨拶をしてくれた河津マネージャーの誠実さと熱意に「河津さんを悲しませたらいけないんじゃないか」という両親の言葉もあり、藤井風さんは上京を決めたとのこと。
当時河津さんは、ディスクガレージ株式会社に所属して「SHISHAMO」のマネージャーを務めていましたが、藤井風さんの音楽活動を全面的にバックアップするために会社を辞め、藤井風さんの個人レーベル「株式会社HEHN RECORDS」を立ち上げました。
ずっずさんの本気を感じるエピソード!
生まれ育った里庄町を離れる前夜は「アホくらい泣いた」
上京について藤井風さんは、
- 旅立つ前夜は「ワシもういよいよ東京に行くんかもしれん」とアホくらい泣いた
- 当日になったら、泣いてスッキリしたのか晴れやかな気持ちだった
と語っています。
藤井風さんは、生まれた時から上京する21歳までの間、ずっと里庄町で育ちました。
「何もないところで大人も子供もみんな仲良しみたいな場所」「全ての思い出がここにある」と語る里庄町では、どんな幼少時代を過ごしたのでしょうか。
藤井風の出身小学校は?
藤井風さんは、里庄町立里庄西小学校に通っていたといわれています。
▼里庄町立里庄西小学校
4人兄弟の末っ子に生まれて、小さい時から家族全員に可愛がられてきた藤井風さん。
「こどもの日」には、Spotifyの企画でアーティスト写真が幼少期の頃に変わるのですが、毎年恒例で可愛い頃の写真を披露してくれています。
今の面影はあまり感じないけど、めちゃくちゃ可愛い!
藤井風は幼少期から父親の影響を受けてきた
藤井風さんの実家は「ミッチャム」という喫茶店を営んでしました。
藤井風さんの父親はもともとミュージシャンを夢見ていましたが、喫茶店の経営は音楽活動の拠点にもなると考え、喫茶店をオープンしました。
しかし、子供が生まれてから余裕がなくなり「夢を子供たちに託した」と藤井風さん自身が語っています。
お兄さんの藤井空さんもプロのミュージシャンとして活動しているし、息子2人とも父親の夢を叶えててすごい!
保育園や学校から帰ると、藤井風さんはその日あったことを父親に報告し、それに対してフィードバックを受けることが日課になっていました。
父親からは、音楽に限らず人との付き合い方や精神性などあらゆることを教わり「いつもおとんが隣にいた」と言うほど、密接に関わっていたようです。
喫茶店「ミッチャム」では常に音楽があふれ、藤井風さんも3歳からピアノ、トランペット、サックス、ギターなど、様々な楽器を教わりました。
ピアノについては、週に1回ピアノ教室にレッスンに通っていたとのことですが、「小さい頃からオトンが膝の上に乗せて、色んな音楽を聴かせてくれたり、弾かせてくれたりしてました」と本人が語っているように、その他の楽器は父親から弾き方を習ったようですね。
父親から絶対音感を身に着ける訓練も受けていて「ゲーム感覚で楽しんでいた」と藤井風さんは当時を振り返っています。
藤井風がYoutubeを始めたのも父親の助言
藤井風さんが小学校6年生の時、父親が先を見越して「これからはYouTubeの時代だ」と、息子たちを動画配信の世界へ導いたエピソードは、藤井風ファンの中では広く知られています。
その助言から、兄の空さんと藤井風さんで「solakaze」というYoutubeチャンネルを開設。昭和歌謡も含めた様々な曲をピアノでカバーして投稿していました。
藤井風さんが小学校6年生の時、2010年といえばYoutubeは既に人気のSNSではあったものの、著作権侵害の問題なども頻発して不安定な状態。その中でクリエイターの収益源としての可能性も見出され始めていたという、正に過渡期の真っ最中。
当時50代の藤井風さんの父親は、いまだに自分の携帯も持っていないほどの非デジタル志向とのことですので、このような先見的な発言をされたことに驚きますよね。
藤井風さんいわく「おとんが直感的に言い出した」「おとんは“ワシの直感は大体当たる”と良く言っていて、自分もそう思う」と話しています。
お父さんは感受性が高くて柔軟な思考を持った方なんですね!
藤井風の出身中学校はどこ?
藤井風さんの出身中学校は、里庄町立里庄中学校です。
▼里庄町立里庄中学校
校則が厳しめな里庄中学校では、チャイムは鳴らず、生徒自身が時間を管理しながら行動する力が養われます。
授業終了後には定期的に勉強会が開かれ、夏休みには補習授業でしっかりと指導を受けることができます。
また、頻繁にテストが実施され、将来の進路選択に役立つ学習面でのサポート体制が整っているようです。
藤井風さんは、中学生の頃は恥ずかしさがあって「ピアノを弾けることを隠していた」中で、いかに面白いことで周りを笑わせられるかという「お笑い大好きな少年」だったようです。
Youtubeアカウント名がハリセンボンと漫画キャラ白鳥沢レイ子から取って「harisenbonreiko」だったし、お笑い好き全開だった中学時代!
当時の写真が変顔かオモシロ構図しかないのもそれを物語ってますね。まさに「青春病」
藤井風の中学校の卒業文集がおもしろくて深い
藤井風さんの中学校の卒業文集内にあるランキングを藤井風さん自身が過去にTwitterに投稿していました。
※現在、藤井風さんのTwitterアカウントは削除されています。
クラス内で「○○な人といえば?」という質問に対して、該当するクラスメイトを答えていくという形式。
藤井風さんの名前も複数入っています。
おならからラベンダーの香りを漂わせそうな人 3位
明太子を一粒一粒食べそうな人 1位
会いたくて会いたくて震える人 2位
ルパン三世の実写化があったら 峰不二子役 2位
質問自体が中学生って感じでよし!
また、藤井風さんはinstagramストーリーに卒業文集の個人ページ部分を載せていますが、「みんなへ」のメッセージが今の音楽性と繋がるほど深いと評判に。
人生は一本の映画。
どんな舞台設定でも、
どんなストーリー展開でも、
いつも冷静に、決して恐れずに、
善い主人公を演じ切って、
天国でアカデミー賞を貰いましょう。
生も死も地続きで「帰る」ために「どう生きるか」という死生観を歌っていた『帰ろう』に近いメッセージ!それを中3で!(驚)
藤井風の出身高校は?
藤井風さんが中学校卒業後に進学したのは、公立の「岡山城東高等学校 音楽学類 ピアノ専攻」です。
▼岡山城東高等学校
【岡山県立岡山城東高校】
<偏差値>
普通科国際教養分野:66
普通科 [単位制]:65
普通科音楽分野:55
※2024年度
<卒業生>
赤木野々花(アナウンサー)
中島有香(アナウンサー)
野上慎平(アナウンサー)
三宅由佳莉(ソプラノ歌手、海上自衛隊東京音楽隊)
國枝明弘(落語家)
藤井風(シンガーソングライター)
水川かたまり(お笑い芸人、空気段階)
森野美咲(ソプラノ歌手)
川元陸(ブレイクダンサー)
岡山県の城東高校は、学科によって偏差値が55〜68と異なり、藤井風さんが在籍した音楽分野の2024年の偏差値は55でした。
岡山城東高校は自由な校風
「充実した高校生活を送りたければ迷わず城東に行け!」と評される、県内有数の魅力的な高校です。
卒業生には、お笑い芸人の水川かたまりさん、テレビ朝日アナウンサーの野上慎平さん、NHK アナウンサーの赤木野々花さん、ユーチューバーのフォルテくんなど、個性豊かな人材を多数輩出しています。
自由を重んじる校風で、携帯の持ち込みやヘアスタイルの制限がほとんどなく、ピアスや染髪を除いて大半が許可されています。
教師が干渉せずに見守る姿勢を取ることで、生徒は自主性と自立心を養うことができる環境にあります。
常識の範囲内で自由を謳歌して高校生活を充実させられる学校ってことね!
藤井風さんの実家から城東高校まではかなり遠く、電車で片道1時間半以上かかるので、毎日3時間以上の長い通学時間を費やしていたことになります。
その上、吹奏楽部でピアノを弾いていて物理的に忙く時間がなかったため、高校時代はYoutubeの配信は一時的にストップさせていました。
岡山県内で音楽を専門に学べる唯一の公立高校
岡山城東高等学校は、岡山県内で音楽を専門に学べる唯一の公立高校です。
普通科の中に学類制を設け、2年次から人文社会、理数、国際教養、音楽の4つの専門分野に分かれます。
生徒は多様な科目から自由に選択し、大学進学に必要な学習に加え、それぞれの専門分野を深く学ぶことができます。
藤井風さんは2年次から音楽学類に進み、卒業までの2年間を音楽に没頭しました。
クラス替えがないため同じクラスメイトと濃密な時間を過ごし、専門知識を学びながら家族のように仲良くなれる、濃い高校生活が送れる評判の学校です。
特に文化祭の「翠緑祭」は県内でも有名で、最も楽しい行事と評価が高くて生徒の熱が入るイベントです。
高校生活で一番の思い出になるとされ、藤井風さんも3年生の時に団長を務めていました。
▼岡山城東高等学校のサイトには「翠緑祭」の様子も多数掲載されていました。
▼城東学校の中庭で行われる吹奏楽部による「中庭コンサート」の様子
部活動では、キーボードだけでなく、サックスやベースなども演奏していたそうです。
両親はピアニストになると期待していたようですが、藤井風さん自身は歌手を志望していたため言い争いになることも。
高校最後の演奏会で両親を招き歌声を聴かせたところ、「思ったより上手く歌えるんやな」と認められたと話していました。
英語に特化した新しいタイプの進学校
岡山城東高校は新しいタイプの進学校で、グローバル人材の育成に力を入れていて、特に英語教育に特化した指導を行っています。
2014年から5年間、文部科学省からスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定され、海外研修や国際交流などを通じて生徒の視野を広げてきました。
藤井風さんが城東高校に入学したのは2013年でSGHの指定期間と重なっていたため、特化した英語教育を受けたことが、後の流暢な英語力の基礎になったのではないかと考えられます。
音楽だけじゃなく英語もしっかりと学べる点も、城東高校を選んだ決め手になったのかも!?
卒業してから母校訪問
卒業後、2021年3月1日放送の報道ステーション『卒業生へ贈る 藤井風さん「♪旅路」』という特集で、藤井風さんは母校の城東高校を訪れたこともありました。
後輩にあたる生徒の卒業式で歌を披露するはずが、コロナ禍で卒業式が縮小され叶わず。
「高校生のつらさは高校生にしか分からない。この歌で優しいパワーを送って優しく包み込みたい」と、スタジオ収録した「旅路」を披露しました。
「自分にしか分からないツラさがあるはず」とヘタに励ましたりせずに優しく寄り添うところが、さすが藤井風!
番組内では、恩師・森野先生を訪ねることに。
一人でピアノ練習をしていた藤井風さんを見かけた森野先生が、全国の合唱コンクールの伴奏として連れ出し、数々の賞を受賞したそうです。
当時、遠征費が足りなかった後輩たちに対し、2018年当時に藤井風さんが寄付をしていたことが判明。
森野先生は「涙が出る程嬉しかった。やっとお礼が言えた」と喜びの言葉を述べていました。
これらのエピソードだけでも、1stアルバムのタイトルにもなっている「HELP EVER HURT NEVER/常に助け、決して傷つけてはならない」という藤井風さんの精神性がうかがえますね。
藤井風の出身大学 高校 中学 小学校など学歴紹介!父親の影響を多大に受けた幼少期も まとめ
【藤井風の学歴】
・里庄西小学校 卒業(推定)
・里庄中学校 卒業
・岡山城東高等学校 音楽学類 ピアノ専攻 卒業
・大学には進学せずに地元でのコンサートやYoutubeなどで音楽活動を行っていた。
藤井風さんの半生については、MUSICA 2022年5月号に詳しく書かれています。
「藤井風 完全読本」だけあって、これまで詳細に語られなかった藤井風さんの生い立ちや2ndアルバムまで内容が書かれています。
筆者は発売直後に雑誌版を購入しましたが、今はプレミアがついてしまって4000円近くするので、電子版をオススメします。
ただ、雑誌版も電子版も、文字が本当に小さくて読みにくいので読了するには相当な気合が必要です。
それを差し引いても、藤井風さんに興味を持った方は是非購入してみて欲しい1冊です。電子版はAmazonなどで購入可能です。
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