「青のすみか」で大ブレイクし、急速に脚光を浴びたキタニタツヤさんですが、最終学歴は東大卒なんです!
高校時代から音楽をやっていて、将来は音楽の道で食べていこうと決めていたキタニタツヤさんが、大学を東大に決めたきっかけはなんだったんでしょうか?
キタニタツヤさん本人いわく「履歴書パンチ」ということですが、一体どんな理由なのか気になりますよね。
この記事は以下についてまとめています。
- キタニタツヤは東京大学卒。進学理由の「履歴書パンチ」とは?
- キタニタツヤが通った東京大学の学部は?
- キタニタツヤの出身高校は東京都立西高校
- キタニタツヤは幼い頃から天才!幼少期について
キタニタツヤの出身大学は東京大学。進学理由の「履歴書パンチ」とは?
キタニタツヤさんの出身大学は「東京大学」です。
音楽で生きていくと決めていたというキタニタツヤさんですが、日本一の難関大学に現役合格したという天才でもあります。
どうして東京大学に入学したのか。
その理由は「親戚の一言」にあったようです。
キタニタツヤが東大に入ったのは「履歴書で殴る」ため
普段会っていない遠い親戚に、将来は音楽をやっていきたいと伝えたところ「バンドマンかー」と落胆気味に言われたことが嫌で、奮起して東大入学を決めたとのこと。
- 何か1個「頑張った」ということが可視化できたら認められる
- 「音楽をやっている」という先入観を取っ払ってもらえる
- 履歴書で殴って黙らせるしかない
これらの戦略をキタニタツヤさんは「履歴書パンチ」と呼んでいました。
落胆していた遠い親戚も、今のキタニタツヤさんの活躍を見てきっと認識を改めているでしょうね。
悔しさがあったからとはいえ、それを糧に日本最難関の東京大学に入学できるということが本当にすごいことで、なかなかマネできない偉業に驚きです。
キタニタツヤさんは、自分の東京大学卒という高学歴が話のネタになればいいなという思いもあったようです。
「履歴書パンチ」大成功!(笑)
東大卒で紅白も出て、学問も芸術も極めていて、しかも気負ってなくてもう天才でしかない!
キタニタツヤさんの親戚には、こんな有名ドラマ―もいました!
キタニタツヤが東大に入ったもうひとつの理由:好きだった子との再会するため?
キタニタツヤさんが東大に入った理由としてインタビューには、親戚を学歴で殴って黙らせる「履歴書パンチ」と答えていますが、「勉強ができることで周りからチヤホヤされるのが嬉しかったから頑張った」とも話しています。
加えて、過去の「採用ハウス」のライブ配信で初恋について話していた際に、他の「東大に入った理由」も説明していました。
- 頭が良くて可愛いA子ちゃんがいて、その子が好きだった
- 中学3年生の受験シーズンになったら、A子ちゃんよりももっと頭が良くて可愛いB子ちゃんが入ってきた
- B子ちゃんが好きになって、同じ高校に通いたかったけどお互い別の高校になった
- B子ちゃんと大学で再会したいと思って勉強を頑張ったが、東大では会えなかった
- SNSをチェックしてB子ちゃんを探し当て、京都大学へ入学していたことが判明
- B子ちゃんのSNSを鍵垢になるまでネチネチすっとチェックしていた
ということで、「東大に入ったらB子ちゃんと再会できるかもしれないと思って頑張っていた」という動機もあったようです。
当時は頭が良くて可愛い子がタイプだったんですね。にしても、東大と京大ですれ違いなんてレベルが高すぎる!
再会を期待して頑張ったりSNSネチネチチェックしたり、キタニらしさ全開エピソード!(笑)
▼キタニタツヤさんの結婚や彼女について、詳しくは下記でもまとめています。
>>キタニタツヤの彼女や結婚は?元カノSNSを覗いて名字変わったら1曲できるタイプ
キタニタツヤは東大に予備校にも通わず現役合格
しかも更に驚くのが、キタニタツヤさんは予備校にも通わずに自力で現役合格しているということ。
「予備校にも通えなかったし、浪人も出来なかったのでプレッシャーはあった」とキタニさん本人は語っていましたので、経済的な理由があったのかなと推察します。
「社会に出るまでの猶予期間が欲しかった」という理由から大学進学を望んでいたそうですが、そんな選択肢の無いプレッシャーの中でも、あの日本最難関の1つである東大に自力で合格したのは本当にすごいの一言ですね!
音楽の専門学校に通うことは「音楽は勉強するものじゃない、ハートでやるもんだろう!」というロック魂に反するということで選択肢になかったそうです。
心根はどこまでもロック(笑)
キタニタツヤは東大の引き語りサークルで伊沢拓司の後輩だった
東大入学後、キタニタツヤさんは引き語りサークルに入りましたが、そのサークルの先輩にクイズ番組「東大王」で有名な「QuizKnockの伊沢拓司」さんがいたとのこと。
キタニタツヤさんが大学1年生の時に、東大の引き語りサークルの部室に行くと常に大学2年生の伊沢拓司さんがいたそう。
当時のキタニタツヤさんはクイズで有名な人とは知らずに、
- この人いつ授業受けているんだろうな
- 本当にどうしようもねぇ大学生だな
- このろくでなし感、これぞ大学生って感じ
と、思っていたそうです。
あとで伊沢拓司さんのことを知って驚いたというエピソードを話していました。
ちなみに、伊沢拓司さんの名誉のために補足すると、入学後にやる気に満ち溢れていた伊沢拓司さんは、大学1年生の1年間に出来る限りの単位を取得したとのこと。
大学2年生の時は「サッカーを見るか、ギターを弾くか」だけの生活をしていたので、その様子を見たキタニタツヤさんが伊沢拓司さんを「ろくでもねぇ大学生」と感じたという話なんですね。
ちなみに、伊沢拓司さんは1年間で72単位取ったという情報もありますが、東京大学の1学期の取得単位数には上限があり、それが24単位。
もし1年間で72単位取得した話が本当なら、伊沢拓司さんは全学期で上限まで単位取得していたということになります。
それを実現するには学業に対する高い理解力と効率的な時間管理が必要ですので、ここでも伊沢拓司さんの頭の良さが分かりますね。
東大がスゴイのか類は友を呼ぶのか、キタニのエピソードみんな天才過ぎてぶっ飛んでる(笑)
キタニタツヤは東大時代「ずっと特待生だった」
しかも、キタニタツヤさんは自身が東大在学中は「ずっと特待生だった」「めちゃくちゃ親孝行」と説明していました。
キタニタツヤさんが東京大学でどのような条件の特待生になっていたかは分かりませんが、条件は主に学業成績が優秀であることが基本です。
その上で、大学の入学金全額または一部免除、授業料や施設費の免除などを行う制度が特待生。
入学時に成績が良かったら適用になるかというとそんな特待生制度ばかりではなく、学年が上がる際に新しい成績表の提出が求められるものも多いため、在学中に継続して高い学業成績を保つことが重要です。
キタニタツヤさん自身が「ずっと特待生だった」「めちゃくちゃ親孝行」と話していたということは、
- 恐らく、大学在学中の4年間特待生だった
- 在学期間中、常に優秀な成績を収め続けていた
- 授業料の一部や全額免除など、金銭的に恩恵の大きい特待生になっていた
ということを表していると思われます。
音楽活動も精力的に、大学の講義もしっかり受けて、しかも特待生継続はもう神業。どこを取っても天才!
そんなキタニタツヤさんは、東大に入って何を学んでいたのでしょうか。
キタニタツヤは東大卒 学部は「文学部 思想文化学科」
キタニタツヤさんが東大で通った学部は「文学部 思想文化学科」専修課程は「美学芸術学研究室」です。
美学芸術学研究室は、
- 美と芸術に関する広範な知識を提供し、学生が専門的な研究を行うための基盤を築く場
- 学問の性質から、具体的な芸術ジャンルの研究だけでなく、文化全般に関わる問題を探求することで、学生に新たな視点を提供する
と説明されています。
キタニタツヤさんいわく、
美学芸術学研究室は、“美しさとは何だろう?”という視点で一次元上から芸術を見るようなところ
とのことです。
芸術に対する深い理解と批評的な視点を養い、美と芸術についての研究を進め、さまざまな芸術ジャンルや文化について考え、自分の視点を深めることができる研究室です。
過去の出身者には、以下のような著名人がいます。
【美学芸術学研究室出身の学者・著名人等】
濱口竜介/映画監督
代表作:「ドライブ・マイ・カー」2021年カンヌ国際映画祭脚本賞、2022年アカデミー賞ノミネート他
倉本聡/脚本家
代表作:「北の国から」「優しい時間」「風のガーデン」
渡辺裕/音楽学者。聴覚文化論など
代表作:『歌う国民—唱歌、校歌、うたごえ』『サウンドとメディアの文化資源学—境界線上の音楽』2013年、紫綬褒章を受章。
倉本聡さん発見!音楽関係よりも映画関係に進む方が多いようですね
キタニタツヤの東大卒論は「編曲はあまり世に出ないのはなぜか?」
この美学芸術学研究室で、キタニタツヤさんが提出した卒論は「編曲はあまり世に出ないのはなぜか?」でした。
ちなみに、キタニタツヤさんは卒論指導の資料の一部をXに公開しています。
- 早くかけ
- バックアップをちゃんと取れ
- 印刷して確認城
- 人に見せて意見を聞け
- PC・プリンターは締め切り前に壊れる
など、学生・クリエイターだけでなく、全ての仕事をする人に刺さるお言葉ですね。
「PC・プリンターは締め切り前に壊れる」がジワる(笑)
卒論では、編曲に印税が入らないことについても触れているそう。
ちなみに、キタニタツヤさんは印税について良く話題にしていて、
- 大ヒットした「青のすみか」の印税がまだ入っていない※2024年4月時点
- 良くない噂も聞く事務所だし、社長が抜いているのか!?
- 印税入ったら不動産買うかも
- でも税金も怖いしまだ賃貸
- カラオケで高校の友人が「青のすみか」を歌っている横で、自分にどれだけ印税が入っているか調べていた
などなど、生々しくも面白いサービス精神旺盛のトークで盛り上げています。
事務所や友達との信頼関係がうかがえる(笑)
キタニタツヤの東大での学び→歌詞に反映されている
大学の認知心理学や哲学の授業で学んだ知識も、歌詞に生かされているとのこと。
- 「夜警」という曲に出てくる“アミグダラ”
→偏桃体(脳内にある神経細胞の集まり)のこと
→認知心理学から - 「タナトフォビア」という曲名
→ニーチェが提唱した“運命愛”という概念がテーマ
→哲学から
学ぶことについてキタニタツヤさんは、
- 何の役に立つかわからないからこそ、勉強して楽しい
- 大学でも(特に目的なく)趣味と興味の赴くままに講義を取っていた
- 実際、受験勉強も楽しかった
と答えています。
キタニタツヤさんは、中学~高校の頃から勉強ができるタイプだったのでしょうか?
大学以前の学歴について、調べてみました。
キタニタツヤは幼い頃から天才!「井荻の神童」と呼ばれていた。
キタニタツヤさんは母親の影響で、ランドセルにロックバンドの「ELLEGARDEN」のステッカーを貼っていたという程、小さい頃からロック好き。
中学受験はせずに、小学校中学校と区立の学校に通いました。
父親が野球コーチをしている関係からか、野球チームや中学の野球部に入り、ロックな野球少年でした。
中学の時は野球部のキャプテンを務めていたにもかからわず、すぐサボりたくなってしまって、興味は完全に音楽やサブカルにあった幼少時代だったとのこと。
しかし、中学生の頃には既に頭が良く「井荻の神童」と呼ばれていたといいます。
小学生でエルレは熱い!(笑)
幼い頃から「神童」と呼ばれた地頭の良さがあったなら、予備校にも行かずに東大現役合格も納得!
ちなみに、キタニタツヤさんは東京都杉並区の井萩で育ちました。
▼西武新宿線「井萩駅」。荻窪の北、練馬の南に位置し、都心へのアクセスが良いにも関わらず下町情緒を感じさせる落ち着いた街です。
音楽やサブカルの文化系、野球などのスポーツに加えて勉強もできたということで、幼い頃から何をやらせても上手くやる天才っぷりを発揮していました。
キタニタツヤさんは、少ない知識や時間でもムダなく効率よく物事を吸収して、自分の力として発揮できるタイプだったのだろうと思います。
おまけに人気者だったらしいから、スクールカースト頂点の天才最強陽キャ確定!
【関連記事】
キタニタツヤさんの父親や母親、有名な叔父についての詳細は↓こちらから。
>>キタニタツヤの父親は?有名な叔父や過激派の母親など家族構成を調査!
キタニタツヤの出身高校は東京都立西高校
キタニタツヤさんの出身高校は、東京都立西高校です。
東京都立西高校は、創立70年を超える伝統校で偏差値は73と高く、東京都内の公立高校の中で1位を誇るトップレベルの進学校として知られています。
- 偏差値は73
- 偏差値ランキング:公立で第1位。※東京都内231校中
- 偏差値ランキング:私立を含む都内で第6位。※東京都内639高中
- 全国9,835校中では29位
東京都内の公立で1位、全国で29位!さすが井荻の神童!
ロックな野球少年が、東京都内の公立で第1位の偏差値の高校に入学した理由はなんだったのでしょうか?
キタニタツヤが東京都立西高校に進学した理由
キタニタツヤさんが東京都立西高校に進学した理由は、「校則が緩く自宅から自転車で通学できるから」
都立西高校は校則といえるものはほとんどなく、制服も一切ないとのこと。
キタニタツヤさんは、同じく都内トップレベルの日比谷高校とも進学を迷ったそうですが、
- 私服で通えること
- 髪を染められること
- 自転車通学可能
が、都立西高校を選んだ決め手でした。
実際に、キタニタツヤさんも入学前の登校日に金髪で登校しても特に何も言われなかったと話すほど、都立西高校は「履物と通学自転車についてのルールしか校則がない」と言われるほど規則がない高校。
校則がないというのは一見楽なように見えますが、自己管理能力を身に着けて、自分の行動に責任を持つことが求められます。
偏差値が高い高校なので、自分で「適切な行動」を考えられる自主性や自律性の高い学生しかいないことから、1から10まで厳しく校則で縛る必要がないという環境なんですね。
アーティストの感性を育むのには理想的な環境!
学校をサボって音楽活動しても何も言われない校風
自由な校風である東京都立西高校は、キタニタツヤさんの音楽活動に対しても寛大でした。
高校3年生の時に、先輩のバンドの手伝いをするためにテスト期間なのに学校をサボって大阪に行ったキタニタツヤさん。
後日担任の先生に休みの日のことを聞かれて正直に「大阪まで音楽活動に行ってました」と答えてもお咎めはなく、「そうか、勉強も頑張れ」と声をかけられたとのこと。
先生も個性的な方が多く、非常に有意義な高校生活を送ったキタニタツヤさんは「都立西高校は本当にいい高校なのでオススメ」と太鼓判を押していました。
恐らくキタニタツヤが成績優秀で、学校を多少休んでも問題ない生徒だったからというのもあると予想!
高校から音楽活動を本格化
中学時代から、仲間達と「高校に行ったらバンドをやる」と話していたキタニタツヤさんは、高校受験が終わったらすぐベースを購入。
高校入学後は帰宅後に独学で作曲をしたり、バンド活動をしたり、ベースを弾き始めたりと音楽活動を本格的に開始していました。
- 「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のコピーバンドを結成
- 途中からメンバーがオリジナル曲を作曲してきた
- 「自分の方がもっと良い物を作れる」と作曲したら思った以上に良い曲が出来た
- 高校2年生でスリーピースバンド「Humanic」を結成。ベース兼ボーカル担当。
- バンドを脱退して自作の曲で1人バンドを結成
- キタニタツヤのソロバンド「羊の群れは笑わない。」を結成
- 本名:木谷竜也としてライブ活動を開始
「Humanic」のライブ映像が残っていますが、当時16歳とは思えない完成度のベースボーカルスタイルで、既に現在の「キタニタツヤ」が出来上がっていました。
キタニタツヤの経歴はどこを切っても天才過ぎる!
キタニタツヤは東大卒!入学理由は履歴書パンチ!?出身高校など学歴について調査 まとめ
キタニタツヤさんの東大入学には「周囲を学歴で殴って黙らせたい」というロックな理由がありました。
その裏に、中学時代に好きだった子と再会したいという恋心も?
どの経歴を見ても天才的なインテリアーティスト。
しかし、実際のトークや人柄は嫌味がないオモシロ兄ちゃんなのも好感度大!
これからも注目アーティストですね!